御祭神
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
菅原道真(すがはらのみちざね)
御由緒
往古「志り知社」と称し 天児屋根命 経津主命を祭祀し 氏の長者が神主となり奉仕す
其の後 敏達天皇の御宇 聖徳太子が此の地に行啓あり 独鈷山鏑射寺を創立し 「志り知社」の別当(神仏習合が行われていた江戸時代以前に神社を管理するために置かれた寺)となる
文禄3年(1594) 舟越五良左衛門殿古検地以前より 除地(領主より年貢免除の特権を与えられた土地)として祭神春日大明神を尊崇し奉ることは 寛文11年(1671)11月12日調製の大地図に明らかとされる
延宝元年(1673)の頃より 「志り知村」の文字を改め塩生野村と記し 元禄の頃(1688〜)より塩の字を省き生野村となる
また「志り知社」を春日神社と改称す
明治12年の神社取調べの際 村社に加列せられ 大正元年8月に生野村無格社(兵庫県神社誌)天満神社を合祀し 生野村字門樋ノ尻へ社地を移転し現在に至る
本殿屋根は 古来桧皮葺であったが 平成10年10月銅板葺屋根とす
境内には 勧請年月不詳ではあるが 往古より天照皇大神を祭神とする末社 神明神社が鎮座し 御神体御箱破損再箱には 「宝永2年(1705)4月朔日」とある
社殿は 小さな丘の中央に松や杉樹などの鬱蒼たる森林の中に鎮座し 近くには摂津名所の一つである百丈岩や鎌倉峡 更に北区内に供給する水源となる 桜の名所
千苅水源地がある
祭典日
秋祭斎行日
令和2年10月3日
鎮座地
神戸市北区道場町生野882
交通機関
JR福知山線「道場駅」より徒歩およそ12分
御祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
御由緒
創立年月は不詳であるが 京都祇園の感神院(現在の八坂神社)から御祭神を勧請し 牛頭天王宮と称へ 三田市山田の産土宮として崇敬される
大永元年(1521)1月3日より興した御頭講 御頭神事(おとうしんじ)が現在に至るまで連綿として続き 記録である御頭帳が県の文化財に指定されている
頭人は斎戒して祭典を行い 頭株をする者は神供を授与され直会を行う
頭人は交代にて祢宜と称して祭祀を奉仕する
延宝元年(1673)に社殿を再建
明治初年(1868) 社名を感神社と改め 明治6年(1873)村社に列せられ現在に至る
祭典日
秋祭斎行日
令和2年10月3日
鎮座地
三田市山田字宮ノ下146
駐車場
2台駐車可能
御祭神
菅原道真(すがはらのみちざね)
御由緒
創立年月は不詳であるが 往古より八王子神社と牛頭天皇社を産土神として奉祀していたが 大永6年(1526)11月 村の田中源周なるものが 京都北野神社の御分霊を勧請し
産土神主神として奉祀す
明治6年(1873)8月 村社に列せられ現在に至る
祭典日
秋祭(毎年10月「スポーツの日」の前日)斎行日
令和2年10月10日
※ 令和2年 及び 令和3年は 「スポーツの日」が移動となる為 斎行日は例年と異なります
鎮座地
三田市木器字南中山686
駐車場
30台駐車可能
御祭神
天照大神(あまてらすおおかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)
天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
御由緒
社記によるところの創始は 寛永年代(1624〜)と伝う
社殿は明治21年(1888)に改築し 近年 屋根を銅板葺に改め現在に至る
明治45年(1911) 北区八多町鎮座の八多神社に合祀され 遙拝所として祭祀を行なっていたが 西畑地区氏子の要望により 昭和36年 八多神社より奉遷し
宗教法人西畑神社とし 祭祀を行なっている
境内地は 古来より氏子たる谷上寿三 他18名の共有地であるが 神社境内地として永久に無償で使用することを承諾されている
境内には 杉を始め数本の大木があり 神社の神厳を保持している
氏子の宮守当番制が厳守されており 宮守は1年交替制で その当番に当たると 年間の小祭を始め 神社の維持管理を奉仕する
以前 例祭後の直会は宮守の家に参上して行なっていたが 平成6年(1994)に地区公会堂兼社務所が竣工したので その年より社務所で行なっている
祭典日
秋祭斎行日
令和2年10月4日
鎮座地
神戸市北区八多町西畑403-2
駐車場
2台駐車可能
御祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
御由緒
創始不詳であるが 古老のいい伝えによると 往古悪病流行の際 村人祈願するに 大いなる御霊験あり 遠方からの参拝が絶えなかったという
旧社殿は 享保4年(1719)に再建し その際の修理その他奉行所の指示を受けた古文書が現存する
神仏習合にして 八多町深谷の常法寺を別当として祭祀を行なっていたが 明治初年に至り感神社と改める
明治45年(1912) 北区八多町鎮座の八多神社に合祀され その後は遙拝所として祭祀を行なうも 昭和34年の伊勢湾台風により社殿が全壊したため
翌35年に新築したのが現社殿である
氏子たる鳴川地区の要望により 昭和36年(1961)5月 八多神社より奉遷すると共に 廣峯神社より御神霊を勧請す
成川地区は宮守当番制により神社の神厳護持に当たっている
宮守は一年交替制で その当番に当たると 年間の小祭を始め神社の維持管理を奉仕する
鎮座地
神戸市北区八多町西畑799-1
駐車場
10台駐車可能
御祭神
応神天皇(おうじんてんのう)
御由緒
寛政6年(1794)に発行された「摂津名所図会」によると 名塩八幡神社は男山石清水八幡宮(京都府八幡市)から勧請したものであると記される
現存する鳥居が寛延4年(1751)のものであり 創始はそれ以前であることがうかがえる
本殿左隣には 伊勢皇大神宮遙拝所が建立される
本殿には 明治維新の右大臣 岩倉具視が奉納したとされる石灯籠が 拝殿には「箱中」長提灯が修復を重ねながら神燈として守り継がれている
また白鳩三羽 源家紋御幕一張が奉納されたという記録がある
祭儀として 1月に左義長祭(とんど焼き)が斎行される
規模と優美さにおいては 近郊で類をみないとされ 西宮市郷土資料館に 縮小模型を展示し 広く一般に公開されている
10月の例祭(宵宮 本宮の二日間斎行)には だんじりの曳きまわしが地区内で行われ 特に宵宮で8台のだんじりが揃って宮入する情景は圧巻である
江戸時代には 翁の三番叟(さんばそう)能舞奉納が催されていた
祭典日
左義長祭
令和3年1月11日 午前4時
秋祭斎行日
令和2年10月17日(宵宮・前日祭)
令和2年10月18日(本宮)
鎮座地
西宮市名塩1丁目2-3
駐車場
10台駐車可能
交通機関
JR福知山線「西宮名塩駅」より徒歩およそ12分